城ブームへの違和感
城めぐり、城ブームは何回か波がありましたが、歴史ゲームの影響もあってか、歴史好きやお城好きがこれまでになく増えた感じがします。
YouTubeなどを見ても歴史モノ、お城モノにはハズレが少ないというくらい、たくさんの動画が上がっており、いずれの投稿者もたくさんのフォロワーがついています。
ただ、なんか浮かれ過ぎているような気もして、素直に喜べない自分がいます。
特にお城については、かつてのように「建てたもの勝ち」みたいな実在しなかった、あるいは史実とだいぶ違う天守のオンパレードは文化庁の規制がキツくなってなくなったものの、
相変わらず「天守=城」としか見なさない人が多くて、これだけは正直ウンザリします。
あえていいます。
「寺でいえば天守は五重塔に過ぎない、なぜ本堂は無視して五重塔ばかり大事にするのか」
「天守は創建時から中身は空っぽのハリボテである」
好きな城、嫌いな城のアンケートで、ダントツで人気がないのは大阪城です。
なぜ人気がないかといえば、理由はほぼ「史実無視」の天守を挙げています。
大阪城はあの立派な石垣ですでに比類なき城郭遺構だというのに、まったく天守しかみてないことがわかります。
天守は偽物でも石垣は本物だし、一度失った天守は建築基準法などの縛りがあり完全な復元はできず、仮にできても所詮レプリカです。
そんな風潮は自治体にも未だに残っています。
昭和の模擬、復興天守(要は史実からかなり離れた天守)のラッシュは、「まず天守ありき」から来ていますが、それは今も大きくは変わりません。
「史実を無視して少し立派なのを建てる」から「木造でできるだけ忠実に復元する」になりましたが、一度失ったものはレプリカに過ぎず、歴史的価値は下にある石垣にははるかに劣ります。
石垣を維持しながらの復元ならまだいいですが、ひどいものは石垣を破壊して天守を建てた例もあるから驚きです。
ここまでくるともはや「天守信仰」としか呼べなくなります。
天守は大きな櫓に過ぎず、領民や街道を参勤交代などで通る他の大名への威嚇にはなったでしょうが、元来住む場所ではないので、階段はキツく中身も木材剥き出しで何の装飾もありません。
最初からハリボテです。
名古屋城の木造復元がうまく進行しないのは、いろいろ原因がありますが、あのまま復元しても石垣がもう耐えられないという専門家の指摘もあります。
まさかどこかの城みたいに石垣が危ないなら壊してしまえとは、国特別史跡の名古屋城ではできないでしょう。
名古屋城はせっかく立派な本丸御殿を復元して、良い方向に進んだと思いましたが、石垣よりまず天守のような流れは「名古屋よお前もか」としか言いようがありません。
城主の居住地、政務の中心は御殿で、城で一番大事なのは御殿ですし、その内装は当時の武家文化のコアでもあったはずです。
しかし御殿の再建はあまりなく、右も左も天守天守というのが、私には「本堂より五重塔を大事にする」ような違和感しかないのです。
そして、下の石垣よりも上の建物ばかり目がいくのもいかがなものか。
確かにあの大阪城も下の石垣より上にばかり目が行った結果の産物ですが、それを促したのも天守=城としか考えない人達だったことは忘れてはならないと思います。